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9月3日(金)
会社では図面をチェックして工事業者さんと打ち合わせ、見積や変更の手配をし、町内の役で織物会社に見学に行き、ゴミを出しビンやカンを捨てに行く。日常生活だ。1週間旅をすると、旅のわたしになって帰って来る。その後容赦なくいつもの日々が始まり、いつものわたしに帰って来る。
この微妙な変化に身を任せるのが、もしかしたら、旅の醍醐味かも知れない。”いつものわたし度”が薄まって透明になって、帰国して日がたったらまた”いつものわたし度”が濃くなって、誰もが知ってるコマエキワムに戻って来る。今日でだいたい、95%くらい戻りました。
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9月2日(木)
出会いは神のプレゼント。なんて思ってる。だからどんな人との出会いも大切にしたいのに。残念なことをしてしまった。
上海最終日、わたしたちは博物館に行った。入館のセキュリティチェックに並んでると、日本語で話し掛けられた。上海の大学で日本語を勉強中のお嬢さんで、万博の日本産業館でアルバイトしてるという。日本語の発音がきれいで会話も流暢、女優の小雪を色白にしたような美しい顔だちに、優美な物腰。上海のいい家のお嬢さんに特有のおっとりした雰囲気。話せたのは少しの間だが、とても楽しかった。セキュリティチェックをぬけたあと離ればなれになってしまい、食事でも一緒にと思いつつ、そのままになってしまった。
上海に置いて来た縁。旅の名残りというより、大きな忘れ物をしたようだ。
毎日快晴、毎日猛暑
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9月1日(水)
時代の変化は静かに静かに底流を作り、ある日奔流になる。歴史的政権交替が示したのはそのことだったように思う。不思議なことに、公約の実現は無理、というのが言わぬが花の暗黙ルールだった。それでも政権交替に舵をを切ったのは、それ以前の古い政治、有り体に言えば戦後体制をいよいよ覆さねばどこにも行き場はないと、覚醒した人が多かったから、ではないだろうか。
政権与党の代表戦は、極地的な自民党政治VS民主党政治の構図だと思う。誰かを頼りたい人のための政治と、それ以外の人のための政治、と言った方がいいだろうか。前者は、清濁あわせ飲みつつ幸福の最大公約を目指し、その過程の多少の役得や利権は許容してくださいよ、いい思いはちゃんとさせてあげるから。というタイプ。後者はそこまで明確にスタイルは確率できてなくて、とにかく前者ではないことだけがはっきりしてる。だから正確な判断が求められる今のような状況ではあまり機能してないけど、まだ学習も歴史もないから仕方ない。それを許容してねズルだけはしないから。というタイプ。
前者への拒否反応がここまで強いと、与党のみなさんは理解してくれてるものと信じたい。
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8月31日(火)
しかし。万博と言うイベントに参加するのは実に40年ぶりだと言うのに、万博て同じですね、大阪も上海も。どか〜んと広い会場にオチャメな建築がぼこぼこ建ち、周りは人がいっぱい。中に入るのに思いきり並んで、入ったらまあ、だいたいは自国の観光案内。3時間並んでも(並ばなかったけど)中で30分過すのは至難の技。通路と言いトイレと言い食事スペースと言い、とにかく人だらけ。ここまでは大阪の万博と同じだが、上海万博は会場が広いぶん移動が大変で、しかも”動く歩道”がなかった。これはショックだった。動く歩道てナニ?と思ったアナタはEXPO'70を知らない世代で、まあ今で言うムービングウォーク(同じだ)なんだけど、40年前にあれに乗った時は、大感激したものなのだ。結局面白くなかったのかと言うと、そうでもなくて、あれが世界の祝祭・万博なのだ、じっさい。
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8月30日(月)
灼熱の上海万博から、熱暑の京都へ・・・帰って来ました。結局のところ、どこに行っても暑い。
ところで万博、スゴイ人でした。開幕当初は以外と不人気とか目標人数達成不可?!とか言われてたけど、いやもう人・人・人の波。日本館は大人気で3時間待ち・・・とかいうニュースを聞いた人もいると思うけど、いまは7時間待ち。サウジアラビア館も5時間待ち。ダーッ!!と叫びだしそうな現実だが、上海のみなさんはわりに楽しそうにしていて、そう言えば大阪の万博もずいぶん楽しんだよなあ、と思い出したり。
子供連れで来てる地元民が多かったけど、彼らが大人になった時、やっぱり他国で開催される万博を見に行ったりするのだろうか。暑い、多い、高いの万博だが、ちょっと未来の明るさも見えたりするのだった。
中国館 ナマで見ました
*バックナンバーと上海日記はブログで随時アップロードします。
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